2022.04.04
社会福祉法人グローでは、滋賀県障害者表現活動の地域拠点づくりモデル事業(県補助事業)として、地域に伝わる民俗芸能をアレンジした表現活動ワークショップ「とんてんかんてん×どんどこどん」を2020年度から2年間にわたって実施しました。ここでは、その取組の様子をレポートします。
「たいこおどりをおどろうよ おどろうよ…」
滋賀県湖北地方、草野川の上流の小さな村落、長浜市鍛冶屋町。そこに伝わる民俗芸能「鍛冶屋太閤踊」の童音頭の一節です。柔らかな風に乗って吹き抜けるような独特のメロディーは人々に誘いかけます。「踊ろう」「舞おう」と。その節に乗って、人々は笑顔を交わし、輪になり、そして太鼓を奏でます。
「ねがわくば ささぐ まごころ みそなわせ たまえ おれいの ひとおどり…」
山間の小さな村落、長浜市鍛冶屋町は、平安時代以降、その名の通り鍛治職が盛んなことで有名な在所でした。豊臣秀吉の命により作った槍が賤ケ岳の戦いでの勝利に寄与したということで、鍛冶屋は賦役免除など秀吉から厚遇を受けたと言われています。鍛冶屋の太鼓踊はこうした秀吉の恩賞への喜びを表しているとされ、「太閤踊」として村に伝わってきました。その後、過疎化、少子・高齢化等の影響により、1999年を最後に上演・奉納は途絶えていた鍛冶屋太閤踊ですが、2019年の秋に外部有志らとともに踊りを復活させ、氏神である地元「草野神社」への奉納を果たしました。
「鍛冶屋太閤踊」を用いた企画「とんてんかんてん×どんどこどん」が実現したのは、その華々しい復活の翌年2020年。「コロナ対策を行いながら、2度目の奉納を行った」と地方ニュースに何度か取り上げられていた頃でした。2度の奉納を終え、太閤踊保存会としても次の展開を探るタイミングと重なったこともあり、「鍛冶屋太閤踊という民俗芸能を使って、障害のある人とない人が一緒になって取り組める表現活動ワークショップを実施したい」という企画に対して全面的にご協力いただけることとなりました。
「鍛冶屋太閤踊」独特の節回しとバチさばきは、大人であっても(逆に大人であればあるほど)習得するには時間がかかり、興味はあって取り掛かってもそう簡単に人を受け入れてくれない難解さがあります。そこで今回は、伝えられてきたままの形を継承することを目的とするのではなく、「鍛冶屋太閤踊」の趣を大切にしつつ、誰もが参加、演奏しやすく親しみやすい新たな表現の創出を目指した企画とし、新たに和太鼓での参加を取り入れた演目として創作することとしました。
鍛冶屋太閤踊の奉納の際は、伝統的に伝わる演目や順番、演者が決まっています。「ここに変化を加えてよいものか?」というのは意見が分かれるところ…と考えていました。しかし、この企画について保存会にご相談させていただいたところ、鍛冶屋地域の外からの参画や新たな表現を大変前向きに受入れていただきました。湖北の山間地域にありながら、変化を楽しみ、変わっていくことで変わらぬ価値を継承していくという鍛冶屋のしなやかさが、今回の企画を支える原動力になっていることは間違いありません。 鍛冶屋太閤踊保存会からは7名の皆さんが参加の名乗りを上げてくださいました。
本企画の原動力となったのは和太鼓プレーヤーの青沼保人さんの存在です。伊豆諸島に浮かぶ新島出身の青沼さんは、学生の頃から様々な日本文化、伝統に興味を持ち、新島のアマチュア和太鼓チームに創設時から参加。その後プロの和太鼓奏者としてデビューされ、全国で活躍されてきました。現在はアマチュアチームの指導・育成に力を注いでおられます。青沼さんは、2019年の鍛冶屋太閤踊復活プロジェクトにもメンバーの一人として深く関わっておられ、鍛冶屋太閤踊にも通じておられることから、今回の企画に対する協力をご依頼した経緯があります。青沼さんには、鍛冶屋太閤踊の節回しやバチさばきといった特徴を生かしつつ、和太鼓が加わったバージョンへの演目のアレンジとワークショップの指導(1年目)、サポーターを支えるアドバイザー(2年目)と様々な役割を担っていただきました。
さて、本企画に演者として加わってくださったのが、なおこさん、かずひろさん、しんやさん、しゅうまさん、あかりさん、あきひろさん、しゅうとさん。和太鼓に親しんでいる人もいれば、「学校ではやったことがあるけれど…」と久々に太鼓に出会う人、もちろん初めての人もいます。中学生から社会人と年齢の幅もあり、普段から顔見知り…といった仲間ではありません。たまたま企画に参加して顔を合わせたメンバーたちです。 さらに加わってくださったのが地元の和太鼓愛好家の方々。「なんかわからないけど、太鼓に関する面白いことが始まるらしい」という匂いを嗅ぎつけ、10名を越える方々がこの企画の趣旨に賛同し、参加してくださいました。面白そうな機会を逃さず、その場を思いっきり楽しむ。この方々の存在と役割も大変大きかったと思います。
10月から10回のワークショップを開催し、2月末の公演に向けた形を作る企画です。最初は互いの様子を見ながら、緊張感が感じられる雰囲気のワークショップでしたが、青沼さんからバチの握り方やリズムを丁寧に教えていただき、太鼓を打つということ、音を重ねるということにだんだんと馴染んでいきます。それとともに、出会った人と人が隣にいる、一緒に太鼓を打つということも馴染んでいきます。太鼓の経験は様々ですが、その経験の有無に関わらず、“打てば音が出る”というシンプルさ、つまり誰でも受入れてくれる懐の広さが太鼓のもつ大きな魅力です。
2月には地元公民館での発表会を開催しました。コロナ感染症蔓延の隙間の時期ということもあり、大きな広報をしていないにも関わらず、会場には約100名の観客が入られました。出演者のご家族、友人はもちろんですが、久々のイベントに参加する観客の皆さんから発せられる“劇場に行く”ことに対する熱意も強く、熱心に鑑賞してくださいました。アンケートには「コロナ下の生活の中、活気一杯のパフォーマーで生き返った気持ち」「昔から伝わる復活した太閤踊と子どもたちの一生懸命な演奏のコラボとても力強くあたたかい演奏が胸を打ちました」「シンプルなリズムの繰り返しにどこか春の到来を感じさせる、なんだかコロナの終息を祈るような演奏で感動しました。ありがとう!」等のコメントが寄せられ、その言葉を聞いた出演者の間に更なる笑顔が広がりました。
取り組んだことで生まれた笑顔の広がり。新たな表現の芽生え。約半年取り組んだことによる成果を感じつつも、一方で心の中に引っかかることがありました。 「あの子らのために居場所を作ってあげよう」 実は本企画の実施について相談した時、参加される方からこんな言葉を聞きました。 間違いではない。悪気は微塵もない。けれど、正解でもないような、そんな思いを私自身は持っていました。否定するつもりは全くないけれど、でも、それとは異なる気づきを生むことに近づけたらという願いを持ち、本企画を2年目も続けて実施することとしました。
参加者を再募集したところ、ほぼ全ての方が昨年度に引き続き企画に参加され、数名の新規参加者も加わって、秋からのワークショップが再開しました。 1年目と異なるのはワークショップの運営体制です。参加者だった太鼓愛好家や太閤踊保存会の3名の方にサポーターとして企画や指導の中心の役割を担っていただき、青沼さんにはアドバイザーとして活動に伴走していただく形を取りました。スタッフ同士で相談しながら公演の形を作っていくことで、経験したことを生かす活躍の場を作りたいという願いからでした。
2年目は、10回のワークショップを実施した成果を2月に行われる「糸賀一雄記念賞第二十回音楽祭」で発表するという企画です。会場は滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール。滋賀県の南部、琵琶湖岸に悠然と佇むびわ湖ホールは、オペラやクラッシック等、“格の高い公演をする”というイメージで、湖北のエリアからは、距離的にも心理的にもやや遠いところにあるホールととらえられているようです。鍛冶屋のおじいちゃんたちは、「冥途の土産や」「これでコロナになって死んでも本望や」と笑って言いますが、主催者としてそれは冗談にもなりません。可能な限りのコロナ対策を行いながらのワークショップが10月からスタートしました。
秋からのワークショップ開始の前、サポーターが集まって、鍛冶屋のおじいちゃん宅の居間をお借りして打合せを行いました。「去年の出演内容をアレンジしよう」「一人ひとりの見どころを作ろう」「オリジナルの太閤踊ももう少し取り入れてみよう」等、意見を出し合って内容を固めつつ、そこに人を合わせて人を動かすのではなく、自然と生まれてくる面白さを取り入れ、楽しみながら柔軟にやっていこうということになりました。
ほとんどの人が継続して参加ということもあり、2年目のスタートは再会を喜ぶ打ち解けた雰囲気でスタートしました。
鍛冶屋太閤踊の特徴である口上を演目の最初に取り入れました。円の中央に道化役の「バカ」が進み出て、「そろたかな」「そろたらそろそろでかけましょう」とかけ声をかけ、場を温めます。「バカ」役を務めるたかはしさんは、役に挑戦する子を上手くリードしながら、面白おかしく演じてくださいます。口上の紙を家で何度も見返して練習してきたかずひろさん。「おなごもなかなかええじゃないか」に応え、「おとこもなかなかええじゃないか」とアドリブをつけ加えたあかりさん。初めから役割を固定するのではなく、一度は挑戦したり試したりしてみて、一人ひとりの「やってみたい!」思いを膨らませていきました。
ワークショップでは、様々なことを試しているうちに思いがけないオリジナルパフォーマンスが生まれる瞬間がありました。 ソロで和太鼓を奏でるなおこさん。右手と左手を入れ替えながら小さく打ち続けたり、ぐっと足を踏ん張ってバチを大きく振り下ろし、ドンドンと打ち鳴らしたり。そこに笛の音が押したり引いたりしながら重なって、独特の世界を表現しました。「やー!」のかけ声とともにみんなの大きな拍手。「あれはできんわ」と鍛冶屋のおじいちゃんたち。
しゅうとさんは「ヤー!」のポーズがお気に入り。相手に向かって両手をピンと伸ばします。そのうち、あれあれ?ずんずんと相手側に進んでいくしゅうとさん。それを面白がる周りの人たちも一緒について行って、相手陣地に乗り込む勢い。その様子を見た相手側もずんずんと進んできます。全く予想外の動きがワークショップの中で生まれました。 自由でオリジナルの動きが生まれる。それを面白がる人がいて、広がっていく。鍛冶屋太閤踊と和太鼓を真ん中にし、それを楽しむ人と人が集う「場」の持つ力が最大限発揮された場面だと感じます。
ある回では、鍛冶屋で採れた柿と、出来たばかりの干し柿がステージの端に置かれていました。届けてくださったのは鍛冶屋から参加のしょうじさん。毎回鍛冶屋から太鼓を運び、人数分の衣装や締め紐を準備してくださいました。「これ、ほしい人は持って帰って」…ぶっきらぼうな言い方に隠された温かさを感じながら、みんなで分けていただきました。
皆が楽しみにしていたびわ湖ホールでの公演ですが、コロナ感染症蔓延の状況が全国的に悪化している時期と重なり、「参加はしたいけれど…」と音楽祭への出演を見合わせられた方もいました。「泣く泣くだった…」とあきひろさんのお母さん。お姉ちゃんの卒業式が近いということもあり、今回はがまんしようと伝えたところ、あきひろさんは一晩泣いていたそうです。「ぼくは行きたい」と。そして、みんなに手紙を書きました。
びわ湖ホールでは、あきひろさんが舞うはずだった口上を、しんやさんが見事に演じてくれました。
公演の後、たかはしさんからこんな話をお聞きしました。今ではすっかり鍛冶屋に馴染んでおられる「バカ」役の高橋さんですが、実は出身地は大阪。たかはしさんには障害を持つお子さんがおられ、“福祉の先進県”と言われる滋賀、ご縁のあった鍛冶屋に転居されてきたという経緯があります。他の鍛冶屋のおじいちゃんたちは、“障害のある”とされるみんなとどうやって接したらいいか、最初は大変戸惑っておられたとのこと。ワークショップ中の様子を見て、「何であの子はあんな風にするんやろう?」「どんな障害なんやろう?」と、帰りの車の中や立ち寄るラーメン屋さんで質問を受けたそうです。併せて、「あの子らがんばってるんやから、わしらもええ加減なことはできん」「ええ経験させてもらってる」―そんな思いで、鍛冶屋からの皆さんが参加してくださったということもお聞きしました。
文化の有する価値は多様であると「文化芸術推進計画」で示されています。今回の取組を、鍛冶屋太閤踊の保存に重きを置いたり、「個人の自己認識の起点となり、文化的な伝統を尊重する心を育てる」といった文化の持つ本質的な価値の側面から評価したりすることも可能です。一方で、「他者と共感し合う心を通じて意思疎通を密なものとし、人間相互の理解を促進する等、個々人が共に生きる地域社会の基礎を形成する」という点で、社会的側面における価値を生んだ取組であったと評価できるのではないかと思います。寧ろ企画段階から、社会的価値を主たる目的として企画したところがありました。
一つのステージの上に集い、和太鼓や太閤踊、笛や歌といった様々な方法で表現する参加者の皆さんの様子から、地域に根差す文化の豊かさと懐の広さを感じます。時代を超え、人と人の間で大切に伝えられてきた民俗芸能が持つ魅力と潜在的な力が、出会った人と人をつないでくれました。
「かみの めぐみの ふかきゆえ むらは ゆたかな かぜがふく…」
しゅうまさんの爽やかな歌声が、今日も風に乗って聞こえてくる気がします。
2年にわたった「とんてんかんてん×どんどこどん」の企画は一旦幕を閉じます。 他者と共感し合う心。人間相互の理解を促進すること。 共に生きる地域社会の礎が日本中、いえ、世界中のあちこちに、小さくとも確実に根付くことを心から願います。 そして、そこには紛争による悲しみの涙が流れる現実はないと信じます。
本企画の実施にあたり、鍛冶屋太閤踊保存会の皆さまには多大なるご協力いただきました。心から感謝申し上げます。(担当:山口)